story 74

2021.10.15

 

 

感染者が異様に減少して、これからまだまだどうなるか?わかりませんが、、、

これから年末に向けてはさらに人の流れは増えて行くでしょうが、サービス業にとっての本当の試練はこれからでしょう。

 

殆どのサービス業が一緒だと思いますが、昨年は大型コロナ融資があって、且つ様々な協力金、助成金など、、

売り上げが削減しても、大型融資によって資金繰りが支えられて、協力金や助成金がその分を補填、それどころか大きくプラスになったところもあると思います。

 

緊急事態が明けて自分も飲食店に足を運ぶようになって来ました。

以前は行政の指示を無視して開けていたお店にお客が溢れて返っていましたが、そういうお店もどうしても行きたいお店だった訳ではなく、他に開いているお店がないからで、どこも開いた今は、以前の様に人気のある店とない店に分かれて行きます。

ある意味コロナ特需は無くなり、それどころかコロナ前の様に多くの人が外食に戻るか?といえば、そのパイ自体がかなり縮小するでしょう。

自分に当てはめても多分以前の三分の一!?くらいだから、全体的にも半分くらいに減ってしまうのでは。。。?と思っています。

 

自分達も他人事では無くて、、、

この業界も一時的に郊外にお客様が流れたなんてありましたが、その郊外でも来店周期が長くなったりと、全体でいえば10%みたいなところが現状かなぁと。

「コロナが収まればお客様は戻ってくる!」なんて言うのは幻想で、どの業界もこれからが本当の正念場なんでしょう。

 

自分の父親が以前商売をしていた事があり。

まだコンビニもスーパーも殆ど無い1960年代(50年前)()。

お菓子や食べ物やそれ以外も販売する商店みたいなのがあって、そこへ海苔巻きとかお稲荷とかちょっとしたお弁当を卸していました。

 当時は上手く行っていて羽振りが良く、夜は幼少の僕たち兄弟を置いて飲み歩き、昼間から麻雀に明け暮れるような生活をしていました。

 しかしその後その周辺業界は大きく様変わりして行きます。

 

後に大きく繁栄を遂げるダイエーが各地にオープンして行き、そんな個人商店はどんどん姿を消して行きました。

今ではだいぶ下火にはなりましたが、ホカ弁と言われる弁当屋が全盛期を迎えて行き。

その後ご存知のコンビニが大きく躍進して行きます。

そして父親はどうなったか?

当然のごとく莫大な借金だけを抱えて会社は倒産し、各地の親族を頼って転々として行き。

それに引きつられて僕たちも23年で学校を転校して、最終的に茨城に行き着きます。

それでも借金は残り、自分が成人してある程度稼げる様になって、その借金を肩代わりして返済しました。

ようやく返済が終わった60代後半で植物人間になり、3年間病院で生きながらえたものの72歳で生涯を閉じました。

 

暗い過去を暴露したいわけでは無くて()変化について行けなければ、当然市場からは必要とされなくなってしまいます。。。

父親のことはある面反面教師として植え付けられていて、

その時もっと情報や知識があれば、、

変化に対応する様な行動力があれば、、

そしてそれに気付かせてくれたり、変化を共に遂げる仲間や人がいたら、、

多分その後の人生は大きく変わっていたんだと思います。

 

今はまさに同じくらいの地殻変動が起き、次の時代に残って行ける様なビジネスモデルへ変化して行かなければ、父親と同様になって行くのでは?というくらいの危機感を持っています。

どんどん新しい発想でこの業界に参入したり、イノベーションを起こして変化している340代の成功例をたくさん耳にします。

同時に以前華々しい成功を収めていた方たちがかなり苦しんでるという話もたくさん聞きます。

変化するものだけが生き残るという、まさにダーウィンさながらのサバイバルが目の前で繰り広げられる中、冷静沈着に自分のポジションや強みを持って、必要とされるためのイノベーションをどこに見出せるか?

それを楽しんで行きたいと思う今日この頃です()