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- 深尾清太郎 / GARDEN Tokyo
『思いたったらすぐ行動』
GARDEN stars. Vol.12
K.suzaki 2020.10
『思いたったらすぐ行動』
GARDENの創業は15年目になりますが、それ以前から一緒に働いている歴の長いメンバーは結構います(笑)。大体男性は幹部職で、会社全体のマネージメントに携わっていることがほとんどですが、中には違う立場で存在感と影響力を与えてGARDENを支えているメンバーもいます。
NYではないアジアに活路を見出そうと、単身で中国に乗り込み、自身でネットワークを広げ開拓。
コロナでだいぶ活動が制約されていますが、ABA(アジアビューティーアカデミー)の理事としても活躍してくれているGARDEN Tokyo 深尾清太郎くん。
時は平成8年。。。
最近では「今日から俺は!」と言うヤンキーコミカルが人気ですが(笑)。
当時はTOKIOの「ガチンコ平成クラブ」さながらにヤンキー現役時代(笑)。
深尾くんもそれを全く地で行く地方の高校生でした(笑)
定時制高校で普通の授業を受けて、午後から美容室でバイトをしていました!
定時制高校に行った理由は、入試が作文一枚で入れたからです。
ようは私立のドヤンキー学校です(笑)。
学校が定めているバイトの種類が基本的に「自動車整備」「調理師」「美容師」、どれかを選ばないといけなかったので、なんとなく美容師を選び、自動的に高校が定めた通信の美容学校に入学しました。
入学してすぐに3年生に目をつけられて、2ヶ月ぐらい経った時に3年生と揉めて、学校帰りに捕まえてボコって、退学処分が出る前に自主退学をしました(笑)!
それでそのまま働いていた美容室に就職して、深尾くんの美容師人生がはじまったそうです(笑)。
本当にこの頃は「ザ田舎ヤンキー」って感じで、、、
悪いことして警察署に出頭命令が出て、行ったら受付の人が働いていたお店のお客様だったり、、、
そのお客様は笑ってましたけど、この前シャンプーした子が出頭して来たなんて、ありえないですよね(笑)
そんな10代を過ごしていました、、
本人はこの辺の下りは書いて欲しくない、、とは言ってたんですが。
すみません!!
個人的にとても面白かったので(笑)!!
時代が『カリスマ美容師ブーム』へと突入
そんな時、時代が『カリスマ美容師ブーム』へと突入します。
20歳の頃、テレビや雑誌で「カリスマ美容師ブーム」が始まり東京の美容室にすごく憧れました!
それに影響されて、2年間ほど、表参道の有名美容師さんの元に通っていました。
そこで聞いた名前が、当時超カリスマ的存在「須崎」「森内」でした。
こうも言われました、、
「自分の力で変えられるサロンに入れ! あそこなら新しいし勢いがあるから今入るならneutralだよ!」って!当時22歳、迷わず履歴書を書きました(笑)。
しかし超話題のサロンだったので簡単に入れるはずもなく、、、
ようやく面接にたどり着いたのはよかったものの、面接官になぜか森内も須崎もいました(笑)。
頭が真っ白になって何も覚えてないですが、これだけ覚えてます。
「うちさ、今、人いらないんだよね〜、っで君に何ができんの?」
「2年でスタイリストになります!なれなかったら辞めます!」って(笑)
無事入社できたものの当時はまだバリバリの徒弟制度時代!
深尾くんには厳しいアシスタント時代が待っていました。
その頃のアシスタントは、時間なんてあって無いようなもので、夜中2、3時まで練習して、朝7時からまた練習、これが普通でした。
シャンプー中に寝てしまうし、ブローなんてあったかい(笑)からすぐ寝てしまうし。。。
現副社長である河野のアシスタントについた時も地獄でした!
当時は一日25〜30名のお客様、雑誌の撮影は常に5.6本、定休日は全て撮影。
これをメインとサブアシスタントの2人だけでこなすんです、、、、
よくアシスタント2人で喧嘩してました(笑)、お客様お待たせして。
そしてGARDENへ
そしてGARDENになり、深尾くんも2年を数年過ぎて(笑)スタイリストデビューを果たします。
売り上げが伸びない時が苦しかったです、、
自分の中で「こうっ」って決めたらなかなか変えられない性格だから、柔軟に物事に対応できなかった。。
でも女性スタイリストの意見や「あなたはもっとこうした方がいい」を素直に取り入れることで、自然と売り上げが伸び始めました。
そして銀座のGARDEN Tokyoに異動になり、アシスタントとしてついていた河野と働く様になります。
最初はビビって行けませんでしたが、初めて河野の隣の席でお客様をカットした時に、新たな目標が芽生えました。
「この人を越えたい!」と。
その頃から既にGARDENには沢山のアジア人の来客もあり、また韓国、台湾、中国など、沢山の国から仕事のオファーが入り始めていました。
これまで誰もやってこなかった事をしたい!
憧れてた先輩たちにできなかった事。
アジアのリーディングカンパニー
「先輩達に勝てる事」
GARDENのヴィジョンである「アジアのリーディングカンパニー」
自分なりに考えた答えが「海外」でした。
GARDENにはNY店がありますが、僕の考える海外は「アジア」でした。
理由は黒髪文化だから。
世界でももっとも難しいとされる凹凸のない顔、絶壁、ハチはりの骨格、硬く量の多い髪。
究極のカット技術が必要とされる世界で挑戦したい!そう思い、自分はアジアを目指しました!
その後彼は幾度かの海外セミナーに参加し、そこからは自分の力で動いて行きます。
業界出版社の海外セミナーやメーカーのセミナー。
中国、台湾、香港、シンガポール、タイ、インドネシアなど、様々な国でセミナーをしてきました。
特に中国は数えきれないほど行きました。
そこで知り合った人とコンタクトをとり、個人的に中国に飛び向こうのディーラーや他店舗展開している美容室のオーナー、教育責任者などと会い営業をして行きました!
気づけば向こうに行ったり、日本に来てもらったり年間30〜40本ほどのセミナーをするまでになりました。
印象深いセミナーとかは!?
海外は信じられない事が沢山起こります(笑)。
真夏、中国の南の地区でセミナー会場のエアコンが壊れて、大量の氷で会場を冷やしてみたり(冷えるはずもなく)、、、
インドネシアでは停電になったと思ったらドライヤー使いすぎで火事になったり、、、
でもそんな中、一人になっても会場に残って、教えた事をできるまで練習している受講者が居たりして、、、
そんな時に本当にやってきて良かったって思えるんです。
様々な新しい事を考えています
コロナがあって停滞はしたけど、これからの展望は!?
コロナ後はオンラインセミナーを数回やっています。
これからさらに、様々な新しい事を考えています。
活動のエリアを拡大して、特に若い国、ベトナムやフィリピンなどアジアの勢いのある国の美容の火付け役を目指したいですね!大変そうですけど(笑)。
同時にGARDEN内の若手スタイリストの育成にも力を入れていきたいです!
今の時代に合ったやり方で成功しているスタイリストを、もっと評価して教育に携わってもらう。
必ずその時代その時代で優れた人間が現れます。
昔僕が憧れた雑誌のカリスマから、今のインスタグラマーやインフルエンサー、そしてこれからはライバー、それぞれ時代に合った人間が支持され力をつけていきます。
その人たちこそがこれからの美容師を育てるべきだと思ってます。
逆に僕たちは長い年月で培った経験と知識で、組織、経営、教育、の長に立ち会社を動かして行くことで、それぞれの個人の長所をいかした美容室作りができるのではないかと考えています。
そしてまた成長した人に、今度は教育する側になってもらう!
「思い立ったらすぐ行動」
最後に後輩に伝えたいことは!?
「思い立ったらすぐ行動」
いい事思いついたけど、「失敗したら、、」「面倒くさそう、、」そんな事を考える前に行動してみる。
そうすると自然とそれに向かえる道や協力してくれる人が必ず現れるんです!不思議と。
うまくいかなかったら次を考えればいいだけで。
一番ダメなのはああなりたい、こうなりたい、だけで何にもしない事。
そんな事言ってる間に歳とります(笑)。
行動して来たから「変化」もあり「気づき」があり。
その中でまた「目標」が生まれるから更に「行動」して、「失敗」 「成功」と言う「体験」ができる。
今は「先輩の過去の自慢話しを聞きたくない!」と言う風潮ですが、、、
先輩たちが様々な体験をして来たからこそ、GARDENはここまで来ました。
先輩たちの様々な体験を聞く事は、成功も失敗も含めて、本を読むことと一緒です。
自分から話しかければ、喜んで沢山話してくれると思いますよ(笑)。
深尾清太郎/GARDEN Tokyo
熱い信念とリーダーシップでスタッフを牽引するGARDENのムードメーカー。カット技術にこだわりをもち、GARDENクオリティとなるカットの基礎を全て手掛ける。ナチュラルで繊細なスタイルを得意とし、特にショート・ボブスタイルのカット技術、似合わせには定評がある。国内外での講師活動やセミナーファッションショーのヘアメイクを数多く手がけ、活躍の場を広げ続ける。現在は、サロンワークをベースにスタッフ教育へ注力。 ABA(Asia Beauty Academy)の設立時から参加し、エデュケーターとして世界の美容師の方々へ向け日本の美容のスキルを発信。