story 56

2021.06.29

 

今から約30年前(また更に昔に戻ります)(笑)

 

スタジオVという、やはり当時は有名なサロンがあって。

「南国酒家」の隣りの昔から有名な原宿コーポの二階に本店があり、渋谷店や新宿店も伊勢丹にあったりしました。

アピッシュの酒巻さんも出身で、リッツの金井さんなんかは当時は雲の上の人でした)(

 

僕がOPERAに入社した数年後、そのスタジオVの新宿店にいた森内が入社してきます。

当時はもっとシャープで最初は少しカッコつけて、有名サロン出身みたいにしていましたが、直ぐに本性はバレて行きましたね()

 

その頃は先輩のスタイリストや生意気な後輩たちも多くて、とにかく自分を認めさせるために、彼は必死に頑張っていました。

実力もあったし、何よりハングリーで前を向いていた森内は、僅か23、4歳で店長となり、ちょっと先に入社した僕と池田と人でサロンを任せられるようになって行きます。

以前に書いた通り、その頃は気合いの入った自分勝手な連中が山ほどいて)。。

森内も若さゆえに殴り合いの喧嘩とかもしていました。

 

それから女性誌の時代が始まり。

僕たちにもたくさんのチャンスがまわって来る中、以前のお店でのヘアメイクの経験を生かして、森内はチャンスを掴み取って行きます。

女性誌の仕事で沢山の指名が入る様になり、もともとセンスもあって器用な森内は売り上げもドンドン伸ばして行きました。

 

ACQUAになって数年後には綾小路さんや野沢さんの売り上げをも凌ぐ勢いとなり。

今では想像出来ないでしょうが、、、

800万の売り上げを年間、ひと月たりとも落とすことがありませんでした!

朝から晩まで僕が近くで見ていても、それはストイックにやっていました。

それでも夜食事に行ったり、、、

徹夜で麻雀したり、、()

まぁ当時はみんなパワーがあったものです。

 

ACQUAが成長してスタッフは増えて行く中で、上のメンバーは更に外へ出て行き、僕と森内と池田でサロンをまとめて行く様になり、組織や人事や評価という事も必要になって行きます。

その辺は当時ほとんど上は考えていなくて(笑)、給料制度も僕が当時考えて提案しました。

 他にも300プレイヤーはゴロゴロいて()「それくらい売り上げ無ければスタイリストじゃない!」

当時はそんな空気感でしたが、それだけの売り上げを支えるアシスタント採用をするならば、当然歩合率を考えて行かねばならず。

また僕たちはその時経営者ではなかったけれど、会社を大きくするためにも、僕たち池田と森内行く行く役員になって行ける様でなければいけないと当時の僕は思っていました。

 

様々に考えを巡らせた中で、上を説得する意味でも僕たち3人の給料を下げて「固定給」にする提案をして、色々改善して行きました。

ただしそんなことは森内も池田も簡単に納得なんてしてくれません、、

それでもお店の将来ことを何度も話しあって理解してもらいます。

このことは何年もずっと引きずられましたが、、)

 でも二人ともそれくらいお店の将来を信じ、何より自分を信頼してくれていました。

それは僕にとってはとても心に残っていることで、今でも良く覚えています。

 そんなことで更に結束が強まり、僕たち人で現場を全て見て行く様な感じになって行きました。