- スタッフ
- 久分祐太郎
『ゴールのないカメ』
GARDEN stars. Vol.21
K.suzaki 2021.7
『原宿からスタートしたGARDENは、NYへの出店やその後の原宿店の移転を機に、2011年より現在の銀座GARDEN Tokyo を本店としてオープンしました。
現在も100坪を誇るお店に40人以上が働く旗艦店として、若手から経験のあるスタイリストが入り混じって、GARDENのスピリットを伝承してくれています。
様々なタイプのスタッフが多く所属するGARDEN Tokyoで、全てのスタッフが信頼を寄せ、そんな多くのスタッフをまとめることができる人は、現在彼以外にはいないかもしれません。
4年前からその代表として旗振りをしてきた久分くんです。 』
とにかく真面目な子供時代でしたね(笑)
高校までは進学校の優秀選抜クラスのような中で勉強していて。
でもまわりのみんなとは逆を行きたくて美容師の道を選んだのを覚えています!
好きでもない勉強ばかりを続けるのではなく、自分のやりたい事でお金を稼いでいきたいと思っていました。
もし美容師になる決断をしなければ、そのまま勉強して地元の大学にに行っていたと思います。
『なぜGARDENを選んだの!?』
当時はまだneutralでした!
その頃間違いなく美容業界で一番勢いのあるサロンだと思ったからです。
すでに有名になっている大きなサロンに入るよりも、これから大きくなるサロンに入ったほうが、自分が活躍できそうな居場所がつくれるかもしれないと思いました!
2005年に入社し同期は7人で、僕はto neutralに配属になり、同期と半分ずつに分かれていました。
夜遅くまで練習して自転車で自宅に帰るような毎日でしたが、、、
表参道沿いに停めてある同期の自転車を見ながらライバル心を燃やしてました(笑)。
自分が帰る時間(深夜2時頃)にneutral側配属の同期がまだ練習してるのか?もう帰ってるのか?
停めてある自転車があるかどうかを見て、毎日勝った!負けた!と意識してました(笑)
特に松井(現アンアミディレクター)の自転車がいつもあるので、負けたくなくて自分も意地になって頑張ってました。
『そんな頑張り屋さんだったけど、デビューまではかなり時間がかかったよね!?』
アシスタント時代の半分以上(約3年間)は悌己さん(現副社長河野)チームのメインアシスタントでした。
とにかく忙しい毎日で、営業では30人近くの予約がはいり、休みの日は撮影、夜は飲み会と、、
プライベートはありませんでした(笑)
体力的にも精神的にもきつかったですが、ヨシキさんからは、
「これを目指して田舎から東京に来たんだろう?」
と言われていたのを今でも覚えています。
「休みがあって撮影もなくて、1日3人の予約でいいなら、すぐ愛媛に帰っても構わない!」と(笑)。
言い方は厳しかったですが、尊敬する憧れの人だったので、「この人みたいにいつか自分もなりたい!」
そう思って自分を奮い立たせて必死について行ってました!
ヨシキさんに長くついている間、プライベートがないのと同じように、個人の練習やモデルさんをやる時間が本当に少なかったです。。
自己管理を器用にできるほうでもなかったので、そんな毎日でいっぱいになるぶん、自分の進みが遅れたのが、デビューまで5年かかった理由として大きいと思います。
同期や後輩が次々にデビューしていくなかでも、自分はなかなかデビュー出来なくて、、、
悔しさも半分ありましたが、、、
他のみんなが経験できないような数のお客様に触れさせてもらうことで、技術や接客に関して人の何倍も磨かれてるという自信もありました!
特にカラーは、お客様全員を任されて塗りまくっていたので、経験値や失敗の数、指名をいただいた人数も半端ないと思います。
それが結果的に将来カラーリストへの道に繋がることになりました。
河野悌己(左)
『そして彼は5年と言う時間はかかりましたが、driveでデビューを果たします。デビューしてからはどうだった!?』
当時はデビュー月に100万を超えるのが当たり前で、まわりがお祭りのように売上をあげていくなかで、自分はなかなかそこに到達せず取り残されていたので。。。
その頃が一番辛い時期でした。
でも進みは遅くても、焦らず一歩一歩登っていくこと。
自分はウサギとカメでいうカメだと思っていました(笑)。
なので20万、30万だった頃から毎月毎月少しずつでも自己ベストを更新していくことを考えていました。
他人と比べると悔しいけど、、、
それ以上に自分自身に負けたら本当に終わりだと思っていましたから(笑)。
来てくださるお客様に絶対リターンしてもらえれば、少しずつだけどお客様は必ず増え続けると思って地道に頑張っていました。
300万円を超えるまでの約5年間くらいは、そうやって必ず去年の売上を少しでも越えて行きました!
本当に遅咲きで時間はかかりましたが、途中で諦めず一歩一歩頑張った先に、結果が少しずつついていったのだと思います。
『そんな中でなぜ自分の強みをカラーにして行ったの!?』
当時のカラーディレクターの智堂さんに導かれて、GARDENで唯一のカラーリストという存在になりました。
カラーリストに必要なのは、「自分が主役になろうとしない気持ち」
「脇役に徹して、自分が陰になり、スタイリストとお客様を輝かせること」
「それができるのは久分しかいない!」そう言われました。
いつも自分の活躍する場所をつくりたいと思っていたので、そう言って与えられた仕事を形にするために必死でした。
誰か別のスタイリストが切ったお客様のカラーをすること。
誰か別のスタイリストが作ったモデルさんのカラーをすること。
それでお客様が素敵になり、作品がさらにUPできるのであれば、自分の価値はあると思えたし、そんなカラーリストというポジションにすごくやりがいを感じて行くようになりました!
またアシスタントのカラー教育を任されたりして行くなかで、スタッフにも一気に認知され、カラーの先生のような立場になって行きました!
先輩スタイリストからもカラーのお客様を次々に任され、指名の売上が伸びていき、出遅れていた数字面もまわりのスタイリストに追いつき追い越せるようになっていきました。
そして300万円までいったのがちょうど30歳の時で、その頃カラーディレクターの智堂が退社し、その後任として僕がその役職をいただきました。
初めはたった1本の東京セミナーだったのを覚えています。
不思議と緊張はなく夢中でやりきりました!
外部で人前に出て話すよりも、GARDENで朝礼の場で話すほうがよっぽど緊張します(笑)
それぐらい強烈な環境で育ってきたんだとそのときは実感しました。
人に教える、人を育てるというのはもともと好きでやっていたので、仕事で行っているという感覚はなく毎回心から楽しんでやらせてもらっていました!
次の年に東京・大阪になり、その次の年に全国セミナーになり、その次の年にはアジア中を回るようになりました。
セミナーがなければきっと一生行かなかったような国や都市に行かせてもらい、貴重な人生経験になりました。
資生堂から海外アジア方面のセミナーがたくさん入り、石原さとみさんが来店頂くようになり、プライベートでは1人目の子供が生まれて父親になっていました。
苦しかった時期から、一気に目の前が広がって、沢山のチャンスがもらえるようになり驚きました。
お子様と一緒に
最初代表に推された時に、正直自分には向いていないんじゃないか、、?
という気持ちが強くありました。。
『GARDEN Tokyoは何といってもGARDENグループの本店。
美容師としてたくさんの輝かしい実績を持っているメンバーが沢山いる中で、苦労して来た『カメ』タイプの彼が、
「そんな人たちを引っ張って行けるんだろうか?」と言う不安もあったのだと思います。』
代表になった時、スタッフの声はすべて聞こうと決めていました。
どんなに強い意見でも、小さな意見でも、めんどくさい意見でも、、
絶対に否定しないで最後まで聞くこと。
そうすれば、本当に困ったときや協力してほしいときに、自分の意見も聞いてくれるのではと。。。
また自分が苦労して来たぶん、なかなか結果が出せない後輩たちの気持ちが自分にはよく分かります。
輝やいているスタッフがいるなかで、目立たないやつが陰で何をやっているか、どんな思いで支えているかが分かります。
最初は一人ではこんな大きな規模をまとめ切れないと思っていましたが、気付けばみんなが力をかしてくれて自分を持ち上げてくれて。
いつしか少しずつ店をまとめていけるように感じられるようになって行きました。
自分は今でもリーダーには向いていないと思いますが、一人一人に全身全霊で接していけば、絶対に思いは伝わると思っています!
主役、脇役関係無く、全員が前向きに頑張れるように意識して、一人一人の働きをちゃんと見てあげれるように意識しています。
『これからさらにGARDEN Tokyoをどんなお店にして行きたい!? 』
GARDEN Tokyo/銀座中央通り
GARDEN Tokyoのように『本店』と呼ばれるような店舗は、他の有名サロンにはないと思います。
それぞれの店舗に個性があるなかでも、「この店舗が原点でありGARDENの真髄がここにある!」というような、本店らしい店舗にしていきたいです!
年長者ベテランからフレッシュな若手まで、スタッフが辞めないで残り続け、お客様が何十年も通い続けられるサロン。
そんなお店が自分が描いていGARDEN本店のイメージです。
GARDEN Tokyo/銀座中央通り
自分も入社してもうすぐ20年になります(笑)。
それだけ長い間働き続けたGARDENで、お客様にも長く通い続けてもらえるような店舗を作りたいと思っています!
『大変だったこともあった!?』
一番大変だったのは、やはりコロナ禍で働き方を何度も何度も変えながら、スタッフやお客様を導いていった去年一年間でしたね(笑)。
ほぼ毎日ミーティングや会議をしていたように思いますが、、、
そんな大変な年でも、最終的に年末には店舗最高記録をみんなでやり遂げたというのは、忘れられない素晴らしい思い出となっています!
『しっかりした奥様に支えられてる(笑)みたいだけど、プライベートの方は!?』
仕事に理解ある奥さんと、かわいい二人の子供たちは、自分の宝物です!
自分で選んだ美容師の道で、いつまでも、「パパかっこいい!」と思ってもらいたいと思いながら毎日頑張っています。
家族そろって
『最後にGARDENの後輩たちに伝えたいことは!?』
僕が日々心がけてきたのは 『絶対に手を抜かないこと』 です。
朝イチのお客様でも、夜最後のお客様でも、同じ気持ちで全力を出し切ること。
VIPな女優さんやモデルさんでも、小さな子供やおばあちゃんでも、どんなお客様であろうが、いつも100%出し切る事を心がけています。
カットが上手いとか下手とか以前に、全力を出しきることなら誰にでもできるはず!そしてそれが一番お客様に伝わります!
後輩たちには、こんな「当たり前のこと」をいつまでも変わらず伝え続けて行きたいと思っています。
コロナ禍前のスタッフ集合写真
『僕が勝手に考えてる「GARDENいい人ランキング」では、彼は間違い無くベスト3には入るでしょう!(笑)
(ちなみに僕は150位くらいかなぁ、、、)(笑)
それくらい彼は普段から一人一人と向き合い、自分の事を後回しにしてでも相手のことを大切に考えています。
彼が多くのスタッフの前でGARDEN Tokyoのビジョンや目標を語る時、みんなが一つの方向に向かっていく一体感を強烈に感じさせてくれます。
昨年からのこの状況において、全店舗で唯一過去最高売上という成果を達成したことも、そんな彼がリーダーだからこそなし得たことだと思います。
彼は以前からよく自分を「カメ」だと表現していました(笑)。
でもゆっくりでも、地道にあたり前のことを積み重ねて来た彼は、今では沢山のお客様から絶対的な信頼を得ています。
そして何より、、
自身がそうだったからこそ、どんな人にも同じ目線で向き合い。
その気持ちを理解した上で導き。
「当たり前」だと思う美容師としての『姿勢』を貫き継続して来たこと。
それがスタッフの彼に対する圧倒的な信頼となって、他の人が持ち得ない、「大切な大きなもの」を築き上げたのだと思います。
人は多くの人から信頼されてこそ、より高くて大きな目標に向かえます。
最初はその背中を見せるとか、、
最初は実力があって憧れられても、
やはり最後は人として「信頼」や「尊敬」を得ることがリーダーの必須条件です。
「最初自分は向いていないと思った、、」
結局それも、彼の「カメ流」(笑)なスタンスでクリアして、更に高いゴールを目指して進んでいくんでしょうね。
というか、そもそもウサギはゴールを目指していたけど、
カメにはゴールはないんじゃないでしょうかね(笑)。 』
久分祐太郎
ヘアデザインを最大限に生かすカラー提案や技術は、お客様はもちろん、芸能人やモデルなどから絶大な支持を集めている。GARDENの旗艦店となるGARDEN Tokyoのトップとしてサロンを牽引しながら、GARDEN唯一のカラーリストとして、グループ全体の技術向上に取り組む。
https://www.youtube.com/watch?v=ueJlAaCLCUA&t=8s
GARDEN HP 「Recruit」ページより