今回はプライベートっぽくて、小説風(笑)で、しっかも長くてめんどくさいので、読みたい方だけどうぞ!(なんか適当にBGMでも思い浮かべて)(笑)
彼女と初めて出会ったのは中学3年生の時、僕が転校したクラスに彼女は居て、今でも黒板に「須崎勝己」と書いたのを鮮明に覚えていると言う。
それから数年が経ち、お互い東京で専門学校に通うようになった時に街で偶然再会し、周囲の友達も含め仲良くなり会う機会が増えていった。
当時アシスタントだった僕はまともに食事をするお金も無く、何かといえば彼女の家で、一緒に住んでいた妹にご飯をご馳走になり、そうこうしてるうちに自然とそんな風にになっていた。
20代はお互いにがむしゃらに仕事に打ち込んでいて、毎晩のようにお互いの仕事の話しをし、いわばライバルのような存在でもあったけど、アパレルと美容師では、その結果の出るスピードは格段に違く、彼女はどんどん成長して行く中で、自分は数年間、相変わらず食べるものもろくに食べられないような生活を送っていた。
でもそんな時、いつも彼女が言ってくれていたのが、「大丈夫、あなたは素晴らしい人だから・・・」と。
20代後半になり、お互いに人の上に立ち組織を動かすような立場になっても、足りないものや、長けてるものについて相変わらず語りあった。
そんな彼女に「30歳までに子供が欲しい」と言われ、まだ自分がやりたい事を何も出来ていない自分が、家庭を持つことに少し悩んだけれど、「自分は結婚しても子供ができても、一番大切なのは自分の夢だ!それでもいいなら結婚しよう!」と28歳の時に入籍をした。
まだ披露宴をやる余裕なんて無かったけど、当時のお店のみんなが祝福してくれ、日曜日にお店を早く締めて、全スタッフが手作りの結婚式をお店でやってくれた事は今でもすごく思い出に残っている・・・
その頃からこの業界にブームが起こり、メディアへの露出など、自分を取り巻く環境は激変し、そのスピードに後押しされながら自分自身も成長していき、彼女もアパレルの世界では誰もが憧れるバイヤーという仕事に着き、海外を行き来するような立場になっていった。
それでもやはり毎晩のように、お互いの仕事の事、組織の事などを語り合い、ただその頃には自分の中にも大きな明確なビジョンが出来上がりつつあり、その話に耳を傾けては、やはり同じように「あなたなら大丈夫」と言ってくれていた。
なかなか思うように子供ができない中、彼女は当時の会社のビックプロジェクトに自ら名乗り出て、バイヤーというポジションを捨ててでも、そのプロジェクトリーダーとして成功を収め、それを最後の仕事にしたいと言った。
後で聞いた事だけど、30代に入って急成長している僕を側で見ていて、自分も何かを残さなければ、これから対等に話ができなくなるんじゃないかと考えていたらしい。
当時伊勢丹の一階にあった「a」とういうブランドが、数年間日本で一番の売上げを誇っていたらしいく、新たに新宿に高島屋が進出する際、そのメインブランドとして彼女が勤めていた「A」を出店するのだと言う。
もちろん彼女や会社の人達が目指していたのは、「a」を抜いて日本一に躍り出る事・・・そして結果は・・・
有言実行、オープンした月に「a」を抜いて日本一の売上げを上げ、彼女は家庭に入る選択をし、そして33歳の時に長男が生まれた。
最初は自分も気遣い面倒も見たりしていたが、益々忙しくなる自分の仕事にかこつけ、また2年後に次男が生まれてからからというもの、全く家庭も家族も顧みず、子供や彼女が熱を出してもお構いなしで、彼女の実家の母親をあてにしてればいいくらいにやってきた。
小学校の高学年くらいになってくると、子供たちが野球に夢中になりだし、その手伝いもあって、毎週土日は5時起きで野球に駆り出され、でもそれが彼女にとっての新しいコミニティーでもあり、そこで起きている子供の話をされるんだけど、いつも自分は上の空で、そうやって共通の話題が少なくなり、自分も昔のように仕事の話をすることはなくなって行った。
長男が中学生にもなり、お互いに少しずつ余裕も出来てきて、また少しずつ仕事の話しなんかもするようになった去年ぐらいのある時、彼女に言われた事なんだけど「私もそうだけど・・・みんなあなたみたいに強くはなれないのよ・・・」と。
ずっと自分は「優しく在りたければ強くなりなさい」と、後輩や大切な人達を守るためには、絶対的な「力」を持たなければいけないと言い続けてきた。
現に自分もそれを信じ、何不自由させない温かい家庭を守るだけの「力」を持つ事が、自分の家族に対する最大の愛情だと信じてきたし、スタッフに対してもそれは一緒だと思ってやってきた。
ところがその話を前後に、自分の中で何かが少しずつ変わり始めてきたんだよね・・・
本来なら子育ても家庭を作り上げる事も、本気で取り組み、葛藤しながら作り上げるものなんだろうけど、僕の場合は何もせず、気がついたら子供達はいつの間にか大きくなり、もちろん健康でそこそこ素直な子供達と、何の不自由も無い家庭がいつの間にか出来上がっていた。
でもそれは、自分が自分の事だけに精一杯やっている間に彼女が作り上げてくれたもので、そういう事を顧みないでやってきた事を正当化してきた自分は、実は自分しか愛してなくて、可愛いのは自分で、実は自分の事しか考えて無いんじゃないか?ってね・・・
これは家族に対してだけでは無くスタッフに対しても同様で、それが「誰か」の為であると、自分は本当にそう思ってやっているのか?ってね・・・
今回のTWBCの出演が決まり、パンフレットを持ち返った時、彼女でも知っている有名な安藤忠雄さんやコシノジュンコさんと並んでいる最初のページを見て、初めて「私も観に行っていい?」と言って、そのパンフレットを亡くなった両親の写真の横に飾っていた。
そして先日、久しぶりの大阪まで彼女は来てくれて、ステージを観た帰りの新幹線の中で色んな話をした。
「GARDENのステージが素晴らしかったという事・・・」「昔から僕が言ってる事は何も変わっていないという事・・・」「でもどんどん取り巻く環境は変化していて、それをあなたが解っていないという事・・・」
でも僕にとって一番印象的だったのは、その晩家に帰って彼女が言っていた事で、それはステージや僕の話の感想なんかじゃなくて、「あんな想いで仕事してきてるのに、今まで帰ってきた時に子供が散らかした部屋のままでごめんなさい・・・」と。
幸せっていうのは、誰でもその時には気付かないもので、しかもそれは誰かが自分の知らないところで一生懸命支えてくれてるからなんだよね。だけど人は今あるもの、起っている事をどうしても当たり前だと思ってしまい、それを誰かが支えてくれてる事が見えなくなっちゃうんだよね。
「なんでこんな事を書いたか?」って言えば、これは僕たち夫婦の話なのかもかもしれないけど、自分はこういう人間だから、今までなかなか気付けなかったし、これからも忘れてしまう時もあるかもしれないけど、みんな同じなんじゃないかな?ってね。
親兄弟、家族、友達、そしてスタッフや取り巻く人達・・・
その中には必ず自分を大切に思い、自分の知らないところで自分を支えてくれてる人達が沢山いて、独りよがりで何かができてるわけでは決してないという事を、僕は今更だけど(笑)みんなにそう思って欲しいかなって。
そしてそう思ったら、なかなか恥ずかしくて言葉に出来ないけど、「今までありがとう」って。
「そしてこれから残り半分の人生をよろしくお願いします」と。
そんな関係で、そんな人達に沢山囲まれてる人生は、きっと素晴らしいと思うんだよね。